日本人ドライバー根本悠生がヨーロッパに初めて登場したのは2017年。当時の彼は、スポーツカーのレース経験を少し持ち、シングルシーターからのステップアップを目指す、若き新人でした。それから4年、インターナショナルGTオープン開幕を前に、今や根本は欧州GT界で最も才能ある有望若手ドライバーの一人となっています。
2020年のレースシーズンは、モータースポーツに関わるほとんどの人にとって理想とは程遠い一年でしたが、根本にとっては躍進の年となりました。フィンランドのトーマス・トゥユラと組み、ヴァレルンガで開催されたイタリアGTスプリント選手権にヴィンチェンツォ・ソスピリ・レーシングのLamborghini Huracán GT3 EVOで出場し、最終ラウンドでプロクラスチャンピオンを勝ち取りました。
2021年も、根本はイタリアのVSレーシングが送り込む強力な2台のラインアップに加わり、GTオープンに参戦します。
根本はベルギーのバティスト・ムーランと組み、もう1台の63号車にはフレデリック・シャンドルフとミケーレ・ベレッタが乗り込みます。
インターナショナルGTオープンの初シーズンを間近に控えた根本の想いを尋ねました。
「目標はもちろんチャンピオンシップ優勝ですが、国際的なGT3のシリーズは今年初めてなので、経験豊かなドライバーたちを相手に戦うことになります。
昨年出場したのはイタリア開催のレースだけで、よく知っているサーキットばかりだったのでかなり助かりました。
今年は初めてのトラックもいくつかありますが、いろいろ学んで腕を磨き、ランボルギーニとの将来に向けて努力することに集中したいと思います。」
根本は2016年にGTデビューを果たして以来、変わらずランボルギーニとVSレーシング・ファミリーの一員であり続けています。ヴィンチェンツォ・ソスピリの元で新しいキャリアを築いていこうという決断は、スムーズに決まったそうです。
「2015年に日本のFIA-F4でレースしていたとき、所属していたチームのドライバー2人がVSRと提携していました。
モータースポーツ発祥の地なのでヨーロッパには行きたいと思っていましたが、ヴィンチェンツォが私のドライビングをとても気に入り、イタリアに来て彼のランボルギーニを試してみないかと声をかけてくれました。
1年後、ヴィンチェンツォから、イタリアのGTカップにランボルギーニで出場し、友人のニコラス・コスタのチャンピオンシップ優勝を手伝わないかと誘われました。由緒正しく美しい、イタリアの超高性能マシンであるランボルギーニに完全に心を奪われました!」
5.2リッターのV10を搭載したHuracánのパワーとハンドリングを楽しんだ根本は、2017年後半にイモラで開催されたランボルギーニ・スーパートロフェオのワールドファイナルに初登場して第2レース優勝を果たし、さらに深く惚れ込むことになります。
2018年に全日本F3選手権選手権を経て更にドライビングに磨きをかけた。その後、スーパートロフェオ・アジアに2シーズン連続出場。2019年にヘレス・デ・ラ・フロンテーラ開催のワールドファイナルまで上り詰めた根本はさらなる挑戦を求め、翌年イタリアGTにフルシーズン出場しました。
「最もよく覚えているのは、2017年にイモラで開催されたワールドファイナルの第2レースの優勝です。
シーズンを通してずっと速かったものの、運に恵まれず思い通りの結果が出せずにいました。ワールドファイナルの最終レースで優勝できたのですが、シーズンで最も難しく競争の厳しいレースだったのでなおさら素晴らしく感じました。最終的に準優勝することができ、とても誇らしかったです。
昨年のハイライトは、予選でポールポジションを獲得できたムジェロのレースです。もちろんレースに勝つのが一番の目標ですが、ポールポジションも、最速ドライバーの証ですのでとても重要です。
ヴァレルンガの最終レースは気持ち的に目まぐるしかったです。チャンピオンシップをリードしていたので、落ち着いてポイントを稼げばよいという状態でレースに臨みました。自分のスティントを終えてよいポジションで交代できたのですが、不運なことにチームメイトが最後にグラベルにはまってしまいました。このような形でチャンピオンシップの終わりを迎えるのがとても残念で、チェッカーフラッグが振られて他のチームが獲得したポイントを見るまで、自分たちが勝ったことが分からなかったんです。とても感動しました。GT3最初のチャンピオンシップ優勝を、ヨーロッパで、そしてランボルギーニとVSRとで果たすことができ、表彰式で表彰台に立ったときは本当に特別な感慨がありました。」
まだ24歳の根本には、私たちの多くにはない「若さ」という強みがあります。「ランボルギーニGT3ジュニア・ドライバープログラム」に加入している根本は、多くのドライバー同様、ファクトリードライバーを意識しています。
根本は子ども時代の憧れのヒーロー、佐藤琢磨が偉大なるミハエル・シューマッハとフェルナンド・アロンソを相手にF1で闘う姿を、熱心なモータースポーツファンである父と一緒に見ていた頃から、大きく成長しています。
「子どもの頃はよくモータースポーツを見ていました。父がクルマ好きでしたし、日本人のF1レーサー、佐藤琢磨さんがいつも参戦されていましたから。本当にすごい人だと思います。優れたレーシングドライバーであるだけでなく、日本のモータースポーツにとっても重要な人です。」
根本がヨーロッパに移る決心をしたことの裏には、同じ日本人のドライバーが世界の舞台で活躍しているのを見たことがあるのかもしれません。一つだけ確かなのは、それが大きな収穫をもたらし続けていることです。
「2017年の初め頃はとても大変でした。日本からヨーロッパ各地に行かなければならなかったので、初めのうちは苦労しました。しばらくすると、いろいろな都市に行って様々な文化を経験できることを楽しめるようになりました。
最初からよいチームに参加できたこと、所属チームだけではなく一緒に競うドライバーたちとも友情を育めたことがとても幸運だったと思います。文化的な違いが大きく問題になると感じたことはありません。」